2008-03-02
作家さんはそんな目線で作品作ってて満足なんですかね?
どーせやるなら石川版を越えるゲッターを描くつもりでやればいいのに。
そんな風な歯痒さを覚えて仕方無いんですよ。
「ほら、ちゃんと石川ゲッターのシーン、押さえているでしょ。読者のみんな、喜んでください」じゃ、その目線の低さを読者に見透かされてしまいません?
オレの感想、穿ち過ぎですかね?
主人公が石川版竜馬みたいにムチャクチャな乱暴者キャラにしたくて、強引に奪うように1号機に乗り込むっていう展開で行きたいなら、主人公の竜牙に早乙女研を占拠させるとか、違う描きよう(演出方法)がいくらでもあると思うんですよ。例えば……
●パニックのあまり1機だけ離脱・墜落してしまう自衛官搭乗の1号機。
●墜落した廃虚の街で倒れている竜牙(実は腹が減って倒れているだけ)を見つけ、保護の名目で、2・3号機を戦場に残し1機だけ尻尾巻いて早乙女研に帰還してしまうヘタレ自衛官1号機。
●意識を取り戻し、メシをたらふく食わせてもらった竜牙、研究所内で調達した爆発物を仕掛けたりテロそのもののやり方で研究所をあっという間に占拠。
その目的は「ゲッターに乗せろ」
●竜牙に背後を取られ銃をつきつけられる隼人所長。「ニヤリ」とほくそ笑みながら、「そんなに乗りたいか?」
●竜牙に銃をつきつけられたままゲットマシン格納庫に案内させられる隼人。
「おう、コレだコレ!」
ゲットマシンを目にして喜ぶ竜牙の銃をあっさり奪い、逆に銃を突き付け返す隼人。
「そんなに乗りたいなら、力づくでも乗って見せるんだな」とニヤリ。
●竜牙の前に立ち塞がる1号機の自衛官。戦闘時のパニックで目がイッてる。
●あっさり自衛官をノし(や、殺す一歩手前レベルまで痛めつけますよ。そりゃ(笑))、1号機のコクピットに座る竜牙。
●「神所長。そんな素人にゲッターパイロットが務まるとは思えません。足手まといです」と2・3号機パイロット。
(こいつらはまだそのまま戦っていた。航続時間とかの設定関係次第でもあるが)
「その程度で戦え無くなるなのか? お前達は。 いやならそのコクピットから降りろ」神はいつもの傍若無人さで、そんな文句を受け付けない(笑)。
●神、コッピットに座る竜牙の胸倉を掴み、言う
「竜牙、現場まではオートパイロットで送り届けてやる。
それだけ大口を叩いたんだ。後は自分でやってみせろ」
「話せるじゃねーか、所長さんよ!」
「お前の死体が形を残して帰って来るなら、葬式くらいは出してやるから安心しろ」
「上等ォ!」
1号機が早乙女研から射出される!!
とかさ。
引用ばかりを単に使いまくるんじゃなくて、韻を踏んでいながらオリジナルな展開。ってな風にお話を紡いだ方が、燃えません?
なのになぜ、安易に引用で済ませちゃうのかなぁ?
なんつーか、「記号化された石川賢要素」で展開してるというか、そんな印象を受けてしまいます。
「熱血」を記号化させてしまったスパロボ世代の悪しき慣習というか。
この作品に限らず、そういうの多いですよね。
記号化された要素を詰め込むだけの作劇をしないで、ニュアンスだけを取り込んだ上での、自分のオリジナルな部分をもっと出した方がいいと思うんですが。
そこの部分を、仮に読者からこんな風に文句を言われても(笑)、「別にオレは石川ゲッターの劣化コピーを描いてるワケじゃねぇ!」と言い返せるじゃないですか。
記号論ばかりで描かれていると、はっきり言ってコッチの魂に「グッと来ない」んですよ!
えー、すみません。
とか言った感じでこの『飛焔』をかなりケチョンケチョンに言ってますが、コレがオフィシャル作品で無かったり、作品の作劇目線が元々「学年誌くらいの読者層を狙っているんだ」とかだったりするのなら、まぁ、ソコまで言う必要ははっきり言ってありません。
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